『鬼滅の刃』最終話に寄せて

漫画『鬼滅の刃』が完結した。

2016年から4年越えの連載。追っている作品の完結をリアルタイムで見届けたのは『7SEEDS』ぶりなんじゃないだろうか。駆け抜けた達成感と終わってしまったさみしさがあまりに大きくて、きのうは深夜3時まで友だちと語り明かしてしまった。

起きて今、『鬼滅の刃』最終話を読み終えたこの感情を、記さずにはいられないと思ってこれを書いている。


※思いっっっきりネタバレを含みますので、アニメ派の方、単行本の方、もろもろ原作未読のかたはお気をつけください。
(わたし自身が基本地雷なしなんですが唯一めちゃめちゃショックを受けるのが意図せずネタバレを踏んでしまったときなので……うっかりかなしい思いをさせたくないので………)

 

▽前書いた鬼滅関連記事

 


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いきます。

 

 

 

 

 


ついこの間の20巻発売段階で23巻までの発売日が発表されたり、物語が佳境に入ってきたりしていることもあって最終回が近いのではと薄々感じてはいた。いたけれど、いざこうしてしっかりと完結をむかえてみるとなかなか胸に来るものがあった。

 

とてもいいラストだったと思う。正直、先週で『鬼滅の刃』はもう完結していたと言ってもいい。ラスボスである無惨は見事退治され、悪鬼はいなくなった。炭治郎も禰豆子も無事人間に戻り、怪我を負った隊士たちの傷は癒えた。鬼殺隊は解散し、それぞれ家へ帰り平凡な日々を送る。今までの過酷で苦しい闘いは過去になった。大団円だ。

でも、そのあまりの大団円ぶりを唐突な幕切れだと思わなかったわけでもない。あそこまで、あそこまで壮絶な闘いを繰り広げたのに、こんなにあっけなくすこやかな日々が描かれていいのか。生き残った隊士たちみんなに帰る家があるわけではないのではないのか。痣が出現したものはみんな25歳で死んでしまうのは本当なのか。じゃあ実弥は、義勇は、炭治郎は、鬼がいなくなった世界でも長生きはできないのか。

無惨が探していた「青い彼岸花」の在処は不明のままだった。なぜ炭治郎の家系に日の呼吸が継承されたのかも、そもそも「始まりの剣士」である縁壱がなぜ人間離れした強さだったのかも、明言されてはいない。

つまり、腑に落ちない点が残らないといえば嘘になる。それでも、やっぱりこのラストを超えるラストはなかっただろうと思うのだ。


ONE PIECE』を超え『ドラゴンボール』を超え、『鬼滅の刃』は社会現象を巻き起こした(まさに今も巻き起こし続けている)。地名度が上がれば上がるほど、周囲の期待は高まる。物語がおもしろければおもしろいほど、その行く末を見守る人間の数は増える。わたしだってそうだった。毎週の展開に一喜一憂し、月曜日がくるのがこわいと思いながらもジャンプ更新を5分前からスタンバイするほどまちどおしかった。『鬼滅の刃』がそれほどまでに人気になったのは、ひとえに設定のブレなさとリアルさ、そしてキャラクターの掘り下げと構成力が素晴らしかったからだと思う。

 

鬼滅の刃』では、とにかく登場人物たちの生死が約束されていなかった。ありがちな「このキャラは死なないだろう」という絶対的安心感がひとつもない。ほとんどのキャラに共通する、鬼を倒すためなら自分の命は落としてもよいという自己犠牲と屈強な精神。「この漫画油断できないぞ」と読者がとくに警戒心を高めたのは、炎柱である煉獄が登場まもなく命を落とした回だと思う。わたしもはじめて読んだときは衝撃だった。これから炭治郎たちのよき指導者になってくれるんだろうな、と思っていた矢先の絶命。えっっ、まってくださいこのレベルのキャラがここで死ぬんですか嘘過ぎでは???(ガチでした)

その後遊郭編での闘いでは、音柱の宇髄が片腕と片目を損失。死こそ逃れたものの、柱は引退することとなった。刀鍛冶の里では誰も欠けることがなくホッとしたのもつかの間、無限城での闘いはお館様の死を持ってはじまり、上弦の弐戦ではしのぶさんを、上弦の壱戦では無一郎と玄弥を、そして無惨線では大量の隊士と3人の柱をうしなった。(書けば書くほどしんどさが増してくるな……)

上弦の壱戦あたりから、もはや誰が生き残り誰が死ぬのか、といった生死の行方を展開と合わせて気にするようになっていた。義勇が片腕をなくし、悲鳴嶼が片足をなくす。実弥は吹っ飛ばされ瓦礫に埋もれ、伊黒は顔面に大きな傷を負う。もうやめてくれ、と何度も思った。やっと無惨を倒したと思ったら炭治郎が鬼化。もうやめさせてやってくれ。せめて人間のまま死なせてやってくれ。(この回のときの義勇さんほんとしんどかったし実弥はスウスウ寝てくれていてマジでよかった)

そこまで残酷で強烈で不条理な死と隣り合わせの闘いを描きながら、くるりとみんなが笑い合うハッピーエンドを持ってきた。これは、すごいことだと思う。


鬼滅の刃』は最初から人の想いをつなげていく尊さをテーマにしていて、それは一貫してブレなかった。縁壱から炭吉へ、炭吉から竈門家代々へ、鬼殺隊へ、そして炭治郎からその子孫へ。炭治郎が無惨を倒せたのは、炭治郎自身に素質があったからというのはもちろん、みんなの想いが受け継がれたからなんだと思う。死んでしまったみんなの腕が炭治郎の背中を押し上げるシーンでは、力強さとやさしさに泣かずにはいられなかった。

無惨の探し求めた「青い彼岸花」は、先にも述べたようにあいまいなまま所在は明かされていない(最終話、おそらく伊之助とアオイの子孫であろう青葉が研究していたようだが、結局すべて枯らしてしまったらしい。まあでも一年に数日昼間だけ咲くなら鬼たちはどうせ見つけられなかっただろうな……)。広げた伏線が未回収だという不満の声も見かけたが、結局「青い彼岸花」を求めていたのは無惨だけだった。無惨の想いは継承されることなく途絶えたのだ。

しかし炭治郎たちの想いは、願いは、この先もすこしずつその姿を変えながら受け継がれてゆく。

短命と言われていた産屋敷さまが現代も生きているように(本当によかったね…)、もしかしたら痣者たちの未来も変わったのかもしれない。無惨戦で生き残った人々がどのような生涯を送ったのか明記されていないからこそ、彼らの余白を感じながら現代までの軌跡を思い描くことができる。

ひとつだけ、やはり愈史郎の今後は気になるところ。茶々丸とともに今も珠世さんを描きつづけているのは、彼女を忘れたくないからなんだろう。みんな(とは言ってもずっと見守ってきたみんなではなく、彼らの子孫や転生後だけど)と違って、愈史郎だけ本人なんだよなと思うとヴ、としんどくなる。生き続けてほしいというのは祈りというより呪いに近い気もするんだよな。愈史郎は人間に戻る薬を試さなかったのだろうか。

 

最後のページにみんなの写真が飾られていて、この写真だけで昨晩1時間近く語ってしまった。なんていうかもう、感無量だった。写真にうつるみんなの表情をみて「あ〜ほんとうにおしまいなんだな」と思ったから。鬼がいなくなった世界で、みんなそれぞれ生涯を生きたのだろう。

 

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最終話を読み終えて、感情昂ぶったまま書きなぐったので拙いところや意味不明な箇所もある感想になってしまったと思うけれど、ほんとうに心の底からおもしろい作品だった。

 

これからまた煉獄外伝が始まり、10月には無限列車編の映画も公開される。12月まではコンスタントに単行本も発行されるし、まだまだ鬼滅ブームは終わらないだろう。

それでも人気絶頂の今、こうして物語を完結させてくれた吾峠先生本当におつかれさまでした。素晴らしい作品をありがとうございました……!!!!!

 

 

わたしはひとまず7/3に発売される小説版、風の道しるべを読むまでは死ねません。風柱になる男がどのように導かれたのかを読むまでは……。

 

ア〜〜〜〜〜〜終わっちゃったんだな〜〜〜〜〜!!!!!(情緒不安定)

 

 

 

しあわせにならなきゃだめだ ずいぶんとかなしい顔でわらうあなたは

P.S. 推し、あなたはしあわせになりましたか(転生後の名前明かされないのよかったな…どうして今世でもそんなに傷だらけなのかは気になるけど、指ちゃんとくっついてるの見て号泣しちゃった)