言い訳したくなったときに読む用の日記

「あなたははじめての取引先にもポーンと電話かけていつの間にか仲良くなっていてすごい」と上司に褒められて、イエそりゃだって仕事ですので……とうろたえてしまった。

 

わたしは知らないところに電話をかけることをまったく億劫に感じないタイプの人間なので、それらの業務を褒められたところで「ホエ」な顔をしてしまう。それよりもスケジュールとにらめっこして、あの人とこの人にこの仕事をオファーして、それをこうやって手配して、だからいつまでに何々が必要で、と組み合わせていくパズルのような思考を働かせるほうがよっぽど疲れる。だから、それらをチョチョイっとできてしまう上司や先輩のほうがもっとずっとすごいよなあと思うのだ。

 

結局、仕事はちいさなパズルを組み立てて大きなものにしていく作業の繰り返しで、だれかひとりでどうにかできるものじゃない。メールの返事はすぐにするとか、留守電はちゃんと聞いてから折り返すとか、そんな当たり前すぎることをおろそかにした瞬間にヤバいミスはやってくる。ひたすら文章を書いていられる仕事なんだろうなと思っていた時期もあったけど、実際は毎日いろんな人とコミュニケーションをとらないといけないものだった。丁寧は大切、でも大変。

 

取り返しのつかないミスをやっちまったことがたぶんまだないことが、実はずっとこわい。そりゃ会社にものすごい損害を被るようなミスをするわけにはいかないけど、このまんまミスを許されない立場になってしまったらどうしようという不安が常にある。次の3月から部内でトップツーのポジションにつくことが決まってしまったことも、たぶん不安要素のひとつだ。責任の重圧をびしびしと感じている(昇進とかじゃなく、単に部内の人が減っての人事なのでおめでたいことでもなんでもない)。こんなふにゃふにゃが自分のすぐ下になるなんていくらハイパー仕事ができる上司でも不安だろうな、と思ったが、その不安を解消するためにはわたしがきちんと敏腕部下になるしかはないのだった。がんばるしかない。はい。

 

でも、やりたいことをやりたいですと言えること、そして本当にやらせてもらえる職場環境がどれだけありがたいのか、というのは嫌というほど知っている。さっきの「電話がすぐにかけられる」にも通ずるけど、わたしは良くも悪くも場に順応しやすいので、ひたすら下りてくる仕事を淡々とこなすだけの業務だったとしても、それなりに文句を言わず働くんだと思う。そしてそんな自分を嫌いになるのだ。それだったら、こうして不安を感じながらも自分で考えながら働く環境にいられることに感謝しなければ。

 

何がいいたいのかわからなくなってきた。だけど、そんな思考回路がままならないときの文章は、何年か経って読み返すと自分自身の発見がある。

 

2年前の今ごろの日記を読み返して、やっぱ似たようなことで悩んでんな、と思った。

 

よくわかんないならやってみればいいや、と思いながら生きていく。今日の日記は、自分への言い訳をつくらないためのものです。おぼえてろよってね。