月の匂いの舟を浮かべる
photo by アベハルカ
すなばさんの本が出ると、そしてそのタイトルが『
すなばさんて誰やねんと思う人はこちらを見てください。
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『さよならシティボーイ』で一番好きだったのは、
ブログ公開時から好きだった「メジロを拾った日」を読んで、
全く動かないことを除けば生きていてもおかしくないほど美しい肢体だった。そうでなければ、こんなことをしようとは思わなかったかもしれない。僕は横たわるメジロに手を差し出し、そっとすくい上げた。(中略)それでも手はあらゆる力をかき分けてついにメジロの体へと達し、親指がその喉元にそっと回り込んで一羽の小鳥を持ち上げた。
右手に触れた羽毛はあまりに柔らかく、薄い皮膚やその下の弾む筋肉、精緻に詰め込まれた小さな内臓、また細く硬い骨の抵抗まで、その生き物を作るあらゆる感触が、右手を通して僕の中になだれ込んできた。(「メジロを拾った日』より)
かつて飼っていた文鳥のあたたかさを思い出しながら、
『さよならシティボーイ』には、すなばさんの日常が、生活が、
夜は朝の水平線に向かって流れていく。流れながら、実体のある今は瞬間ごとに、過去の影絵に変わっていく。背後に連なるその幻燈が(中にはずっと後ろにいるものたちが)、ふいに光の靄を吐いて自分の胸をつかまえる。それが眠れない夜に起きていることだ。(「眠る前の話」)
僕が自分自身のことをよく川の流れの中にいる小さな生き物として喩えるのは、時としてこういう奇跡的な一日もあることを知ってしまったからだ。時間が過ぎていくことに良いも悪いもなく、その流れを抵抗として感じるか、心地よい揺りかごとして感じるかは、ただ自分自身の姿勢のみに委ねられている。「生きることが上手な人」がもしいるとすれば、その姿勢の制御が上手いのだろう。(「大丈夫になった日」より)
すなばさんの文章は、どこまでも文学なのだ。彼の文章を読んだ人には共感してもらえると思うのだけど、
すなばさんは、文章において中途半端な妥協をしない。
わたしはそれを、すごくいいなと思う。なんていうか、
人はどうしたってひとりきりで生きていて、たまに沸き起こるどうしようもない孤独をすべてはねのけることは、きっとできない。だけど、その孤独もぜんぶ受け入れて文章を編み出してくれる人がいる。それを読者として受け取ることができるのはとても幸福で、恵まれていると思う。その感謝をまだ言えていない気がするのでひとまずここで先に伝えておく。
書いてくれて、読ませてくれてありがとうございました。何度も繰り返し読みます。わたしも大丈夫になる日とそうじゃない日を繰り返しながら、それでも生きようと思いました。
『さよならシティボーイ』の感想というよりすなばさんに向けた個人的な手紙みたいになってしまった気がしなくもなくもないけど、たぶん読んだ人はみんなすなばさんを身近に感じると思うから、まあよしということにする。
さよなら、シティボーイ。
その歴史の節目にすこしでも立ち会えたことに、たくさんの感謝と愛をこめて。
最後かもしれない夜のおしまいに月の匂いの舟を浮かべる