曇天

目を背けたくなるようなひどい事件があって、それをきっかけに友人たちからちらほらと連絡があった。「大丈夫だよ」というたびに心臓の隅が鈍く痺れて、「よかった」といわれるたびになつかしい景色が目の奥にうつる。

 

ボートを漕いだ多摩川、木になった蜜柑。毎朝店の前を掃除していた不動産屋のお姉さん、うすいハイボールの焼き鳥屋。干からびた吐瀉物、人気のないコインランドリー、広い校庭の学校。

 

会ったこともない、でもすれ違ったことがあるかもしれない、もう二度と会えない子たちのことを考える。
今夜の風は窓を揺らすほど強くて、目をつぶっても眠れそうになかった。
今も悲しんでいる人がいること、憤りのない思いを抱えている人がいること。何もうしなっていないのに、ぽっかりとした喪失感があった。傷ついていいのはわたしじゃないのに、右足の小指の爪をまた剥いでしまった。指にこびりつく血が不快だった。

 

偽善めいたことしか言えないことが不甲斐ない。あまりにも無力だ。

 

 

 

 

synapse

ここ最近、ぐるぐると短歌をつくっている。30首の連作を編み終えて、いまは50首。なかなか推敲が終わらない。きのうはよくできたと思った歌が今日は全然よくなかったり、新しくできた一首に引きずられて連作自体が崩れてしまったりして、つくづく歌は生き物だと思い知る。

 

言葉やフレーズはいつも唐突に脳みそへ落ちてきて、一瞬で通り過ぎていく。一度忘れたら思い出せないそれは目が覚めたら忘れてしまう夢に似ていて、ずっと手探りのままだ。

短歌をつくっていると、見たくない自分ばかり思い出してしまう。弱虫で臆病で、見栄っ張りなわたし。ずるくて汚くて、嘘ばっかりのわたし。忘れたいのに忘れられないこと、許したいのに許せないこと、見せかけだけのからっぽだった時間。
ぐ、と心臓が狭くなる感覚を味わいながら、それでもどうしてわたしは短歌をつくりたいと思うのだろう。

 


先週末、鶯谷にある子規庵で開催されたトークイベントに行った。うぐいすチャンネルさんと出版レーベルPAPER PAPERさんのコラボ企画、『これからの表現』。作家さんたちが「これからの文学の表現はどうなるか」について語る言葉が聞ける、贅沢な時間だった。それも、正岡子規が晩年を過ごしたという子規庵で、心地よい5月の風に吹かれながら。

 

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とくに印象に残ったのは、「感情をまっすぐ表したい」という三浦さんの考えと「直接的ではなく余白を感じられる表現をしたい」という伊波さんの考えがすっぱり分かれたとき。おふたりとも自分の中の指標のようなもの(パンクだったり、伊波ニュータウンだったり)へと話題をふくらませて「これからの表現」につなげていて、素晴らしいなと思った。

これは個人的な話になるのだけど、わたしは「言い切ること」がとてもこわい。会話の中で、「そんなことないかもしれないんだけど」とか「そこまでは思わないんだけど」とか、余計な言い訳を加えて保身に走ってしまう。
逃げ道が欲しいのだ、結局。100パーセント誰も傷つけない言葉なんて存在しないと思っていても、自分を守りたくてしょうがなくていつも同調してきた。相手に合わせればその場は和やかに過ぎるから。自分をねじ曲げることに慣れたくせに、苦しいと感じる自分が嫌いだった。
だから、僕のマリさんの「表現することで呪いが解けた」という言葉にとても共感したし、同じくらい救われた。そうだ、呪いを解きたかったんだ、わたしも。

 

「表現の中で嘘をつかないようにしている」と言った生湯葉さんの言葉も、芸能のお仕事を長くされている石山さんの「他人から求められるキャラクターに自分を当てはめていた」という話もしなやかで力強かった。

「批評をする人は誰よりもロマンチストなんですよ」と言った大滝さんの言葉は、これからいろんなところで思い出すんだろうなと思う。客席に座る人たちから「なるほど」がこもったため息が聞こえて、頷きで揺れる頭が見えた(わたしも例に漏れず頷いた)。

 

トークイベント開催のお知らせを聞いてから当日まで、『これからの表現』とはだいぶ幅の広いテーマだなと思っていた。「表現」は一括りにするには大きすぎる。
SNSが当たり前になった現代で、「表現」することはいとも簡単になってしまった。文章も絵も写真も、音楽さえも、一瞬のうちに全世界へと発信することができる。

今回は文章を書くことを生業としている方々のトークイベントだったのでより「言葉」に特化した内容だったけれど、それでもいろいろな話題が出た(読まれるためにタイトルを誇張したweb記事が多く出ていることとか、「エモい文章」のこととか。三浦さんの服屋三浦の話、生湯葉さんの「生湯葉」の話、どれも興味深かった)。

そんなウワウワと広がっていく話題を、なめらかにまとめながらイベントの進行司会をつとめたすなばさん。さすがだった。臨機応変、って汎用性が高すぎて逆に使いどころがわからなくなる言葉だったけれど、ハハアこういうときに使うんだな。すごかった、さすがだった(2回目)。
登壇者の方々も客席のわたしたちも安心できたのは、相槌を打つときやトークを振るときのすなばさんのまなざしが常にやさしかったからだと思う。

 

あっという間に一時間半が過ぎて(ちょっとお尻が痛くなって、小学生のころを思い出して笑った)、外は暗くなった。よかったねえ、おもしろかったねえと言いながら、開演前に見きれなかった展示を見る。
『これからの表現』について、8人の作家の言葉が掛け軸に刻まれていた。同じく8人のイラストレーターの正岡子規の横顔の絵も一緒に。来ることができてよかったなあ、と何度も思った。

そのあとネオンきらめくホテル街を歩いて、打ち上げに参加させてもらった。ビール、餃子、かっぱえびせん。ぬくぬくと酔って楽しかった。いい夜だった。

 

展示の開催は、延長して5月31日まで行われるとのことです。ほんとうに良かったのでぜひ。

 

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3、4日経って、あらためて表現することについて考えている。

物心ついた頃から、自分の中のどろどろした感情は人に見せてはいけないものだと思ってきた。つらくてもじっと耐えるのがただしいことで、不言実行がうつくしいことだと。作り笑いは上手になって、何としても人前で泣かないためのすべを身につけた。

わたしにとって短歌は、「王様の耳はロバの耳」と叫んだ青年にとっての穴と同じなんだと思う。
だれにも知られないところで吐き出さなくてはやっていられなかった。「ネネネ」になって、ほんとうの自分を隠した。王様の耳はロバの耳、王様の耳はロバの耳。張り付いた笑顔を剥がすことができないなら、上手に泣くことができないなら。

 

 

どうして短歌をつくるのか、まだわからない。わからないけど、わからないからつくっているのかもしれないな、と思う。ずるい答えだね。わたしの呪いはたぶん、まだ解けていない。

揺り戻しに悩みながら祈りながら、それでも日々を歩いていく。百均のイヤフォンから聴こえる懐かしい歌が、ちょうどよく耳に馴染んだ。

 

 

あとがきのように解説してしまう日記をいつか燃やしてほしい

 

 

 

 

 

 

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淡々と無垢 『身元不明』yoe

yoeさんの『身元不明』と『冷笑とヴァニラ』を読んだ。

 

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yoeさんはきっと、わたしたちが息をしたり瞬きをしたりするように「書くこと」ができるひとなんだと思う。ノート、あるいはパソコンを開いて「よし書くぞ」なんて気合いを入れなくたって、こぼれる言葉を持っている。電車に揺られながら、道を歩きながら、湯船に浸かりながら、目にした景色を、そのとき感じた思いを、思い返した出来事を、そのまま残すことができるような。

 

 

『身元不明』をひらいて、最初に告げられた一文がもうすでに好きだった。ため息。

 

「りょうちゃん」

自分の小学生時代の記憶を、無意識のうちにずるずる引っ張りだしてしまった。たぶん、読んだ人みんなそうだったんじゃないかな。はじめての友だち。男の子と女の子。学校という社会。すこしずつ確立されてくる自我と、閉鎖された空間で生き延びるためのすべ。あの、言語化しづらい空気、匂い、感情、いろんなものを思い出した。今思えばあんなに狭い世界が、あの頃のわたしたちにはすべてだった。いや、もしかしたら今よりも無限だったことの方が多いのかもしれない。
どうしてどうして手放してしまったんだろう。ね。


「いつかのプリンア・ラ・モード

茶店が閉まってしまうのは、いつになってもかなしい。職場の近くに「いつか行こう」と思っていたそれこそ老舗の喫茶店があったのだけど、ある日店の前を通ったら「閉店しました」のご挨拶が貼られていて愕然としたことがある。あの、とんでもない喪失感。
たった数ヶ月店の前を通っていただけで、ご立派に「うしなった」と感じてしまうわたしはなかなかおこがましい。それでも、変わっていく過程はひどくもの寂しいよな、と思った。
添えられた写真がすてきだった。もう、ないのかあ。絶対に行くことのできない場所、まぼろしみたいでかっこいい。行ってみたかった。


「じゃがいも概論」

むむ。あー、ウンウン。そうなのね。はいはい。あ~~わかる気もする。…お、いいな。ほうほう、………へへ、ハハ、あはは(笑)
どこに行ってもとりあえずポテトサラダを食べたがる人間(わたしのことです)にとってものすごく興味深い概論だった。いま感想を書いていてもう一度読み返して、やっぱりおんなじ流れを辿った。おもしろいなあ、もしもyoeさんと一緒に出かけるなら場所は昔ながらの喫茶店かな、と思っていたけど、居酒屋にも行きたくなる。行きたいなあ。

 

「もぬけに挿し花」

あっ、知ってる! はいはい、知ってます! と挙手。もうかなりバレているから白状するのだけど、わたしは相当なyoeさんのファン。この「もぬけに挿し花」はnoteにも載っていて、春になりかけの朝に読んだ。ちょうど仕事に忙殺されているころだったので、仕事を始めたころだけじゃなくて、そのときの自分のことも重ねながら読み返した。ガチガチに固まっていた心臓がほぐれる。


「愛、もしくはレモンサワー」

あーーーーーー!!!!! 行間ごとに相槌を打ってしまう。これはですね、議論したいですね。わかる、わかる、めちゃくちゃわかる。わたしもぜっっったい、洗濯なんかしない。ましてや鍋なんか買わないね。でも、でもね。うん。そうです、映画『愛がなんだ』についてです。観た人、ぜったいに読むべし。


ガベージコレクション

いちばん好きかもしれない。『身元不明』を一読したあとも、パラパラめくりなおすたびにこのページをもう一度読んだ。実はこちらもnoteに載っていたのだけど(把握しすぎって言わないで、自覚しています)紙で読むともっとずーっと深いところまで降りてくる気がする。
自意識。個性。空白のままでいたい気持ち、空白のままでいる不安。
去年つくった自分の短歌を思い出して、そうかそのときのわたしはこんな気持ちだったんだな、と思った。

404 not found うしなったことを何度も確かめている


「People you may know」

グッドラック、グッドラック。そうやってSNSの、のところ笑ってしまった。わかるなあ、わたしも好きじゃない、そういうの。話題がどうしても直近の自分とかぶってしまって元気が出た。
それでも漠然と未来を信じている。ハローグッバイ、

 

収録されている作品すべてに触れる気なんてなかったのに、気がつけばダラダラと自分に重ねまくって感想を羅列しまった。あとがきを読んで、タイトルの『身元不明』がまたぐうんと色を変える。わたしもわからない、わからないな。

すごいな。

エピソード自体がとっておきじゃなくたって、yoeさんの目を頭を心を通せば、とっておきの物語になる。これってすごいことだ。ものすごいことだ。

現代社会を生きるわたしたちは、当たり前のように文字の読み書きができる。文章だって、書こうと思えば大抵の人は書くことができる。それでも、スッと心に染み入るような言葉運びは誰でもできることじゃない。それも壮絶で奇想天外なストーリーでなく、うっかりすれば見過ごしてしまうような出来事を。


yoeさんの描く世界を読めて本当によかった。

あと、『身元不明』はそれぞれの短編ごとにフォントがちがう。添えられている写真があるものとないものもあるし、分量もまちまち。余白にまで呼吸があって、ページをめくるたびに楽しかった。そういうところも含めて好きだな、と思う。

半透明なカバーもすてき。かすれ気味のタイトル印字も、隠れるような英題『Unidentified(about you)』も。


自分でも驚く量の感想になってしまったので、『冷笑とヴァニラ』についてはまた後日書くことにします。

それまではyoeさんのnoteをぜひ。すっっばらしいです。

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では、また。

あっち向いてホイ

木曜日、金曜日の朝8時までに入稿予定の原稿がちっとも終わらず終電を逃した。
まあこうなるよな~とは思っていたので淡々とパソコンと向かい合う。0時を過ぎて会社のラジオからゆったりめのクラシックが流れ出して、なんとなく聴いていたらすこし寝てしまった。

 
学生時代からずっと、追い込まれてやっと力を発揮するタイプの人間だったので直前のギリギリで仕上げた。セーフ。
しょっちゅう徹夜していた3月に比べて日が昇るのがだいぶはやくなった。朝ごはんを買うためにオフィスを出る。日差しがつよくて、コンタクトを付けっぱなしの目がシパシパした。

 
サンマルクのクロワッサンサンドが食べたかったのに売り切れていて、あきらめてファミマへ。世の中の朝ってはやいんだね。レジのお姉さんが知らない人だった。何を買ったか覚えていない。


ほんとうはそのあともモリモリ仕事が溜まっていたのだけど、もう頭は働かないしなんだか喉は痛いしで13時ごろ帰ることにした。使いものにならないんでお先に!と言い逃げ。神経ばっかり図太くなっている気がする。こんなのでまともな社会人と言えるのかなあ。口だけ達者になっていく。


天気がよかった。吉祥寺に寄ったけど、あんまり記憶がない。ひたすらに眠たかった。


帰って真っ先にシャワーを浴びて、泥のように眠った。途中で何度か目を覚ましたけど。タバコを吸っている夢を見た。


起きて、やっぱり喉が痛いのを確認する。2019年になってからすこぶる体調が悪い。以前、めったに風邪を引かないなんて日記を書いたのになあ。もう嘘になってしまう。
寝すぎるほど寝たのにまだ眠くて、二度寝を3回くらいした(つまり5度寝、いや、4度寝?わからない)。いい加減ベッドからの景色に飽きて抜け出す。今日もいい天気だった。
 

布団を干そう。ついでに枕カバーも洗おう。溜まりに溜まった洗濯物を干したらなんだかちゃんとした人間になれた気がして、そのままがっつり部屋の掃除もした。
2011年からつけている日記たちが出てきて読み返す。
自分の書いた日記なのに、当時の自分が何を考えているのか全然わからなくて笑えた。高校生のわたしは眩しかった。いまの方が楽しいけどね。

 

夜、ハルカちゃんと会った。渋谷駅前は今日もうるさい、とラインを送ったところで合流。文フリからあとちょっとで1週間だね、と言いながら歩く。空気がぬるかった。


喉が痛いこと、声はそこまで変わらないから何くわぬ顔でごまかそうとしたら「ネネネちゃん声どうした?」と言われてウッと言葉に詰まった。バレてる。喉が痛いんです、と自供。病院行きなさい~と諭されながら、はちみつ大根がいいことを教えてくれた。ありがとう、ハルカちゃんに隠しごとはできない。隣のひとたちの会話がおもしろかった。


帰り、スクランブル交差点で信号待ちをしているとき前に立つカップルが熱烈なキスをしていた。横断歩道を渡りきった先では「FREE HUG」のスケッチブックを持ったひとたちがワラワラいて、楽しそうでよござんす、と思いながら改札を抜ける。電車はそこまで混んでいなかった。


最寄駅について、100円ローソンではちみつを探した。ぐるぐるまわって見たけどどこにもなくて、そういえばなくなってたな、と思い出してゴマだれを買う。
ローソンを出て、今度はマルエツへ。あった。一番安くて500円以上して、なるほど100円均一にできない商品もまだあるのね、とぼんやり思った。2000円近くするものもあった。500円のものを買う。ついでに納豆も買った。確かこれもなくなってたし。


家について冷蔵庫を開けたら、ゴマだれと納豆があった。なんてこと。ふたり暮らしを始めてからこんなことばっかりだ。おもしろいからいいんだけど。ハンドソープとマジックリンを買うべきだった。


お風呂から上がってぼうっとツイッターを眺める。あ、充電切れそう、と思ったところでスマホが震えた。


画面にうつる名前をみる。少し躊躇して、出る。いつか聞かなくちゃと思っていた話だった。


もしもし、寝とった? ううん、起きとった。びっくりするほど冷静に、ケラケラ笑いながら話せた。真面目なところはちゃんと真面目な声色にしたけど、「幸せにな」はふざけながらじゃないと言えなかった。でも、ちゃんと本心だった。幸せになってな、幸せに。
いつもならもう切るよというまでダラダラ続く電話が、たったの17分で終わった。


ごく、と唾を飲んで、ギュ、と喉が痛いのを思い出す。全然平気。これは風邪のせい、ぜんぶ風邪のせいだよ、大丈夫。


夜の密度が増してくる。いますごく、『愛がなんだ』をもう一度観たい。愛、なんなんだろうねえ。

 

いつか今日の日記を読み返したとき、何これ全然わっかんない、と未来のわたしは思うんだろうか。若いねえ眩しいねえ、でもいまの方が楽しいよ、なんて笑ってくれるんだろうか。


寝そべった布団から、太陽の匂いがする。

 

口笛を吹くみたいに

ゴールデンウィークも折り返し地点を過ぎた。

新幹線の中でカタカタパソコンを叩きながら、福岡に向かっている。

 

(福岡には、父と母がいる)

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おととい、平成が終わった。自分の生まれた時代が終わるというのはなんだか感慨深いけど、正直そこまでたいそうな出来事だとは思えなくて、まるで年越しのような賑わいにすこし戸惑った。

でも、なんていうか、そんなはずないのに平成はずっと続いていくような気がどこかでしていた。

変わらないものなんてないのに。心臓の奥の方がヒヤリとする。

わたしも、ずっと同じではいられないんだよな。きっと。

 

 

ゴールデンウィーク初日は、新宿で『愛がなんだ』を観たあと地元に戻って高校時代の友だちとしこたまお酒を飲んだ。ワーホリに行くためにお金を貯めているアイちゃんと、CAをしているショウちゃん。ふたりと話していると世界って広いんだな、としみじみ思う。あの頃の話ばかりじゃなくて今の話ができるのが楽しかった。

 

そのまま姉の家に流れ込んで、翌日は高校の部活に顔を出した。先生変わってないですね、お前は変わったな!といういつものやり取りをして、夏にまたきます、と言って別れる。お兄ちゃんみたいな先生だったのに、もう三児のパパなんだと聞いてびっくりした。いやあ、本当に。驚きだねえ。

 

夜は姉の手料理をたらふく食べて、たくさん話して、次の日昼過ぎに退散した。そのまま小学校からの親友に会う。いつも入り浸っていたカフェのテーブル配置が大きく変わっていて、そうかそんなに久しぶりなのか、と実感する。

彼女は5月に恋人について関東を離れることが決まっていて、たぶんその前に会える最後の日だった。どんなに久々に会ったってつるりと平常運転になるのがわたしたちだったけど、別れ際ハグしたときに思わず泣いた彼女につられてわたしも泣きそうになった。なんでだろう、変だよね。今生の別れでもないのにね、でも。

泣かないつもりだったのに、と泣く彼女の涙がきれいだった。

大丈夫、いつでも会えるし、いざとなったらわたしはすぐにあなたの元に飛んで行く。フットワーク軽いの、わたしの売りだからね。大丈夫。大丈夫だよ。

 

そのあとも、好きな人たちに会いながら残りの平成を走った。わたしのまんま5月になって、世間は令和になった。終わらないと思っていた平成は過去になって、未来が始まる。後からついてくる実感でもいいかな。おそるおそるになってしまったけど、次の時代も泳ごう。

息継ぎはすこしずつ上手になった。

 

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福岡についたら何をしようか。ひとつも決めていない。まず久しぶりの両親、祖父母に会ってご飯でも食べて、そのあとはどうしよう。三姉妹が揃うのも久しぶりだからどこかに行こうかなんて話しているけど、結局ダラダラ過ごしてしまう予感がしている。

 

それも悪くないかもね。

 

令和、始まりました。全然パッキリしない気持ちのまま迎えてしまった改元だけど、わたしらしいじゃん、とヘラヘラしている。どうぞよろしく、仲良くしていこうね。

 

 

大切にしてはいけないものなんてある? 口笛は下手くそなまま

 

 

キャンプングカーでドライブスルー

は、できない。背が高すぎるから。

でも、のびのび足を伸ばして寝ることはできる。カレーを作ることができる。駄菓子を広げることも、「たのしいお寿司屋さん」でいくらを産むこともできる。頭を使うカードゲームも、頭を使わないゲームもできる。たくさんたくさん笑った。笑いすぎてはしゃぎすぎて喉が枯れた。何かになりかけみたいな声が出る。

 

さえぎるものが何もない草原で焼けたほっぺたが少しヒリヒリして、たのしい時間は本当にあっという間なんだなと実感する。
たのしかったな。一瞬の隙もなくたのしかった。「平成最後にキャンピングカー乗ったんだぜ」とこれから自慢しまくるんだと思う。乗ったんだぜ、キャンピングカーに。まあ、運転もナビもなんにもしてないんだけど。ありがとう、ありがとう。

 

調子に乗って買いまくった1200円分の駄菓子、くらくら光るスーパーボール、後ろ向きに流れていった景色。

 

一人でも夜道が歩けるなんて思っていたわたしはばかだった。本当の真っ暗はこわかった。パチパチ燃える火と、しゅわしゅわ弾ける花火がきれいだった。

 

脳みその時系列がバラバラになるくらいたのしかったから、何が一番たのしかったかなんて順位は付けられない。髪の毛からまだすこし焚き火の匂いがする。

 

 

うるさいくらいがちょうどいい

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金曜日の夜、えいやっと仕事を放り投げて「HIGH ENERGY CREATOR」に行った。3/29〜31の間、渋谷で行われていたイケてる展示です(最初聞いたとき「ハイエナG」かと思った。ハイエナの集団的な)。

 

 

PAPER PAPERの編集者であり『エンドロール』の著者でもある西川さんの「未読百景」が読みたくて、というただそれだけが目的だったのだけど、行ってみたらそれはまあわんさか人が溢れて(本当に溢れていた)ドヤドヤ賑わっていて、圧倒されてしまった。有名なクリエイターさんの作品もたくさんあって、ふたつずつしかないわたしの目も耳もたぶん相当がんばりました。うん、がんばった。


圧倒されすぎて写真を撮る隙もなくて、カレーの写真しか残ってない。6curry、やっと食べたよ。バルサミコソース、とってもおいしかった。ごちそうさまでした。

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この日は2日連続で渋谷に降り立ったのだけど、渋谷駅前は2日ともやっぱりうるさかった。

なんとか会場にたどり着いて、ドリンクをもらう。人の多さにおどおどしながら未読百景を既読にするために奥に進んだ。
いや、マジで、とにかく人がすごい。おしゃれなグラスに入ったビールがこぼれないか心配で、途中でぐいっと飲んだ。わたしが吐かない限りこぼれなければ安全かなと思って。何言ってるんだろう。


ごった返す人間の隙間を縫った先に、未読百景はあった。見つけた。立ち止まって、読む。

真っ黒のA4用紙に、びっしりと並ぶ白い文字。
中身の少し減ったグラスを両手で持って、じいっと身を乗り出して読んだ。かなりのボリュームで鳴っていたはずのBGMと楽しげなゲストたちの話し声が、すうと小さくなる。

すごいな、と思った。シンプルにすごいなと。
コンセプトは少しだけ話に聞いていたけれど、実際に読むと衝撃がすごかった。

なんでもない毎日の中にあった会話をこうも物語にできるのか。言葉の切り取られ方で、見えない登場人物たちが浮き出てくる。今までいろいろな展示に行ったけど、ひとつの作品をここまで真剣に「読んだ」こと、なかったと思う。ぎゅるぎゅる脳みそが回転するのがわかった。ぎゅるぎゅる、がつん、ごつん。

 

名前を呼ばれたとき、一瞬ふっと周りの音が戻ってきて、ああそうだったわたしは今展示会場にいるんだったと思い出した。けっこう長い間、未読百景をひとりじめしてしまっていた気がする。

よかったです、めちゃくちゃ。それしか伝えられなかったことがもどかしいけど、それしか伝えられなかった。本当に、めちゃくちゃよかったんですよ。

わたし以外にも、未読百景の前で立ち止まっている人がたくさんいて「わかりますよ」と声をかけたくなった。それは身を乗り出して読んじゃいますよね、わかります、わかります(誰)。

今回のが「壱」だったので、どうやら続編も作るかもらしい。う〜〜、作ってほしい、めちゃくちゃ読みたい。

 

他にも好きだな〜と思ったのが、オギャ美さんの眠いときにかいたっていうイラスト。添えられた文章もおもしろくてゲラゲラ笑った。発想がすごい。ポストカードとかにならないかなあ、欲しい。

あと、ニュージュゴンの短歌ポスターとか、ナナコスさんの頭の中をなぞった絵とか、りいめろさんのエモさ爆発したプリ帳とか、#PRのシールとか、まだまだたくさん。写真もイラストも動画も文章も、うわ〜〜おもしろ〜〜ってもので溢れていた。

ものを作る人がこれだけたくさんいるんだよなあということに途方にくれそうになるけど、同じくらい希望にもなる。本当に、ハイエナジーだった。

 

最後におごってもらったコークハイはめちゃくちゃ強くて、もうほとんどハイだった。うすいコークを一生懸命脳内で濃くしてちびちび飲んで、圧倒されっぱなしだった時間を振り返りながら気分もハイになる。来てよかった、よかったなあ。

 


わたしも、わたしたちも負けてらんね〜な。
気合い入れて次回作の準備中です。サイコーなものを作る自信、あるよ。

ひとまずお披露目は5月の10連休最終日の東京文学フリマになりますので、どうぞよろしくね。いつだって全力を出せるように、準備体操は欠かさずにしている。

 

 

 

最後にこちら! 勝手に宣伝しちゃう、好きなので……

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