首都高とバス

年明けの仕事量の多さに息切れしていたら(去年のわたしも頑張っていたはずなんだけどな)、あっというまに1月が半分終わってしまった。ようやく〆切と〆切のはざまがやってきて、ここ2日はちゃんとお昼にお昼ごはんを食べることができている。2023年もせっせとワーカホリックなんだろうなと思いつつ、好きなことにもちゃんと時間を割けるようにしたいので、ちまちまとブログも更新しようと思う。

 

 

 

昨年12月に公開された『THE FIRST SLAM DUNK』の熱がまったく冷めない。スラダンの映画を観るマンガが読みたくなるマンガを読む映画が観たくなる映画を観る……永久機関の完成。仕事が忙しいと言いながらマストの予定で「スラダン観に行く」を組み込んでいたせいで、いま数えたら公開の121月現在で映画館に足を運んだ回数は11回だった(全力すぎない?)。

 

2回目で海南御一行が観戦していることに気がつき、3回目で魚住を見つけ、910回目でようやくテツ沢北を発見した。次は河田兄弟の母・まきこを見つけたいが、そもそも存在の可否すら不明なのでかなり難易度が高いなと思っている。

 

インスタの更新頻度があがって、スラダンを観に行くたびにストーリーを更新していたら高校時代の友達から情緒を心配するDMが届いた。むしろ元気だから安心してほしい。

 

 

年末は東京で、年始は福岡で過ごした。福岡には実家があるけれど、両親が移住して実家が移った、というかたちなので馴染みはまったくなくて、土地勘もさっぱり。だから、家の近くのバス停から乗ったバス(天神駅行き)が高速道路を走り出したときは驚愕した。父に「どうしよう、なんかバスが高速道路走ってる!」とLINEをしたら、返信がくるよりも先に目的地に到着して、正しい順路だったのかと気がついて拍子抜けする。なんだ、とんでもない冒険がはじまってしまったのかとちょっとだけウキウキしたのに。でも、知らない街の当たり前を知るのは楽しくて、全然知らない天神駅で耳馴染みのあるスピッツを聴くのもかなり楽しかった。そんな知らない街に実家があることに3年経ってもまだ慣れないけれど、変化を恐れる必要なんかないんだと、50代で仕事を辞めて、すっぱりと自営業をはじめた両親を見ているとつくづく思う。わたし以上にインスタを使いこなしている父は、関東にいた頃よりも生き生きとしていて、人生なにが起こるか本当にわからない。父と母のつくるレモンケーキはたぶん世界でいちばん美味しくて、わたしはそれをしっかりと誇りに思っている。

 

仕事初めは6日だったから、5日の朝、博多から新幹線に乗って東京に戻った。発売時期から気になりながら読めていなかった、辻村深月の『傲慢と善良』(文庫版)を読む。とにかく凄まじくてあっという間に読んでしまって、カテゴライズされざるをえない世の中で、わたしはわたしのまま、人生の選択をし続けられるのだろうか、とぼんやり考える。朝井リョウの解説まで含めて、すごく好きな作品だった。

 

 

一週間ちかく家主が不在だった家は、しんと冷えていていつもの帰宅時より静かだった。家にひとりきりなのも久しぶりだったから、余計そう思ったのかもしれない。なんとなくさみしくなって、徒歩圏内の友人の家までお土産を届けに行く。新年の挨拶は楽しくて嬉しい。

 

そうして翌日から仕事が始まったら、冒頭でも言ったとおりいきなりクライマックスだったのでびっくりしてしまった。今年もよろしくの挨拶もそこそこに、目の前に積み上がるタスクを打ち返しつづける。

 

仕事と並行して、それなりに心が乱される事案も立て込んだので、物理的に余計なことを考える時間をなくせたのは良かったかもしれない。いろんな人に「そろそろ幸せになってほしい」と言われるたび、別にもう幸せなんだけどな、と困ってしまう。そんなに不幸そうに見えるのだろうか。心外である。わたしの幸せはわたしが決めるんだよ。

 

 

2023年、去年よりもっと仕事を頑張るつもり。自分の名前を背負ったものの数も増えそうなので、全部栄養にできるようにガツガツやっていきます。やらなきゃ結果が出ないなら、みっともなくてもあがくしかないもんね。

 

今年もどうぞよろしく。週イチくらいでブログ書けたらいいなと思ってます。

 

 

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