fight

すっかり2020年の顔をしながら過ぎる毎日に、なんだかまだ馴染めない。

 

年越しは大分で、年始は福岡で過ごした。たった何日か前なのにものすごく昔のことのようで、それでいてまだ九州にいるようなふわふわした気持ち。おとといはお風呂あがりにのぼせてぶっ倒れ、今朝はやかんが沸騰する音をキッチンに突っ立ったままずっと聞いていた(どっちも妹に「何やってんの!?!?」と言われてハッとした。ありがとう)。

 

仕事もいまいち身が入らずポカミスを連発してしまって、先輩がそっとチョコレートをくれた。すみません。そう言ってしょんぼりする。すみません、すみません。うまく声が出なかった。

 

誰もがみんな、あたらしい年になったからといって自動的にちゃきっとシフトできるわけではないのだ。わかっていたはずなのに、あまりのポンコツぶりにへこんでしまう。わたしってこんな感じでしたっけ。とたんにこわくなったけれど、だましだまし「わたし」をやっていくしかないなと思った。帰ると決めたときはちゃんと終電に乗るとか、もう会わないと決めた人とは会わないとか、できればもうすこしちゃんとしてほしいところもあるけれど。

 

目標を達成するための「がんばる」と、心が麻痺して考えられなくなるまでの「がんばる」は違う。
そう気がつくまで、だいぶ時間がかかった。

 

笑いながら聞こえる悪意のない物語に、何度も心が死んだ。エゴにまみれた善意の押しつけに、何度も頬がひきつった。悪意がないのなら傷ついてはいけないと思っていたし、善意は微笑んで受け止めなければいけないと本気で信じていた。許さなければいけないなんてぜんぶ思い込みだった。分かり合えない人間はいる。どれだけ時間をかけても許せないことはある。今なら笑い飛ばせることがむかしできなかったように、今できないことはいつかこなせるようになるのかもしれないけれど、「あのときはつらかったけど耐えられた」なんて美談はもういらない。

 

2020年、ちゃんとしながらすこやかに過ごしたい。「うれしい」が「かなしい」を上まわる1年になりますように。すこしでいいので。

 

がんばるための「がんばる」をする。今年もよろしくお願いします。