一緒にいたかったとか、会いたいとか

「別れてから、あーわたしの趣味は彼氏だったんだなあ、って思ったんだよね」

 

狭い居酒屋で聞いたユウちゃんの言葉に、わたしとアッちゃんは顔を見合わせて目をぱちくりした。なるほど、とおもむろにキウイサワーの入ったジョッキをぶつける。なるほど。

周りの音がすこし遠のいたような気がした。皿に残った焼き鳥をつつく。

 

*****

 

わたしたちは、深夜まで営業しているチェーン店のバイト仲間だった。3人ともオープニングで入ってほぼ毎日シフトを入れていたから、仲良くなったのは当然といえば当然だったのかもしれない。
バイトが終わったあと、朝5時までちかくの居酒屋で飲むのがいつもおきまりのコースだった。空が白んできたころ帰宅して、また夜にお店で会う。大学の授業はもうほぼ取り終わっていたから膨大に時間があって、今考えればおそろしく自堕落な日々だった。

同い年だったわたしとユウちゃんは、大学卒業と同時にバイトも辞めた。2個下のアッちゃんは今もまだ同じお店で働いている。「みんな元気っすよ」と近況を教えてくれるアッちゃんの話に出てくる人は、半分以上がもう知らない子だった(アッちゃんは知らない子のこともまるで知っているかのようにいきなり話す)。

 

2週間前、ユウちゃんは彼氏と別れたらしい。
「一緒に行った旅行で喧嘩しちゃったの。100パーわたしが悪かった」
そういえばインスタで、ユウちゃんと彼氏の楽しげなストーリーをたくさん見た。喧嘩するようになんて全然見えなかった。
「なんでだろ、友達なら我慢できるのに、彼氏ってなるともうストッパーきかないの。嫌われるまでガーーって言っちゃう」
うつむいたユウちゃんの長いまつ毛が影を落とす。アイシャドウのグラデーションがきれいだった。

 

「どうして考えてることわかってくれないんだろうって思うし、どうして考えてることわかんないんだろうって思う。わたしはぜんぶ見せてた。ぜんぶ。起こることぜんぶ共有したかったし、だめならなんでだめなのか教えてほしかった。いつかだめじゃなくならないようにするにはどうしたらいいのか考えられるから。それもだめだったらどうしたらいいのかわからない」
ぐ、と串から砂肝を引き抜いて、ユウちゃんは一点を見つめた。
隣の座敷がやけに騒がしかった。きっと大学生だな、とぼんやり思う。

「ユウさん、もう一回ぜんぶ忘れたほうがいいっす。何かしましょ、何か。何もしてないからたぶんこう、もやもや考えちゃうんですよ」
ぱっちりした目を一層ぱっちりさせて、アッちゃんが言った。うんうん、とわたしもうなずく。
だよねえ〜〜〜、と大きく語尾を伸ばしたあと、でも、とユウちゃんが続けた。

「わたしさあ、趣味ないの」

喧騒がすうっと離れる。

「別れてから、あーわたしの趣味は彼氏だったんだなあって思ったんだよね」

わたしとアッちゃんの「なるほど」が重なって、ここで話は冒頭にもどる。

 

*****

 

「ユウちゃん服好きじゃん、買い物とかは?」
「それは彼氏ありきだった。彼氏が好きな系統の服を買ってたから、ひとりじゃわからない」
「映画とか……」
「うん〜〜嫌いじゃないけどって感じ」
「読書は?」
「しないんだよね〜〜」
「旅行!」
「それも彼氏が行きたいところ行ってた」
「揺るがないね〜〜〜!!」

 

さっきまでのしんみりした空気はなんだったのかと思うほど盛り上がって、わたしたちは「趣味」の概念について話し合った。趣味ってなに。ひとりでも楽しめるもの? じゃあ誰かがいないと成り立たないものは趣味とは呼べないのか。いやそんなことはないよね、そうだよね。

「でも、「彼氏が趣味」っていうのは、ちがうんじゃないすか。「彼氏が推し」はなんとなくわかるんすけど」
アッちゃんが言う。
「どうなんだろう。べつに恋人の好きなことを好きになるのは悪いことじゃないと思うけど」
わたしも首をかしげる

「うーん」
ユウちゃんは小さく空気を吐き出したあと、わたしさあ、と言った。

「わたしさあ、彼氏のこと好きだったけど、たぶん彼氏がいる自分が好きだったんだよね。いなくなってさみしくてどうしようもなくてずっとインスタ見てて、思うのはもし今まだ彼氏と付き合ってたら同じタイミングでストーリー更新してたのにな、なんだよ」
しょーもないでしょ、とユウちゃんが笑う。

 

「一緒にいたかったとか、会いたいとかじゃないんだよ」

 

小さな沈黙。ずっと笑っていたアッちゃんがすこし間をあけて、しょーもなくないすよ、と言った。

「ユウさん、別れてよかったっすよ。あれです、もうラインもインスタもブロックしましょう、断ちましょう、連絡をとる手段を」
アッちゃんはすばやく身を乗り出して、ユウちゃんのスマホを奪おうとした。やめてえ、と大げさに振ったユウちゃんの手が皿に当たって、食べないまま残っていた砂肝のかけらがテーブルを転がる。ちょっとちょっと〜〜と言いながら笑って、わたしは薄くなったキウイサワーを飲んだ。

 

「よし、じゃ何か趣味探すのを趣味にしましょう」
転がった砂肝を口に放り込んで、アッちゃんが言った。
「あたし、こないだメルカリでタイプライター買ったんすけど」
「「タイプライター?」」
「そうです。あのパチパチ叩いてガシャガシャ字が出てくるやつ」
タイプライターって買えるの?メルカリで?はてなマークが飛び出るわたしとユウちゃんを置き去りにして、アッちゃんは続ける。
「形から入るタイプなんすよね、あたし。いつか作家にでもなろ〜と思って。あ、これっす」

アッちゃんがカメラロールからマイタイプライターの写真を見つけだすころには、ユウちゃんの表情もどこかすっきりしていた。もちろんなにか明確な答えが出たわけではないんだろうけれど。

 

でも、それでいいのかもなと思った。

そのあと、アッちゃんのタイプライターが実はローマ字しか打てないらしいことが判明してひたすら笑ってしまった。小説書くには大変じゃない?とお腹を抱えながらまたサワーを飲む。とりとめもない話、記憶に残らないような話。でも、ずっと楽しかった。

またねえと別れたあと、帰りの電車の中でインスタを開いたらユウちゃんのストーリーの中でわたしとアッちゃんが乾杯をしながら笑っていた。「たのしかった〜ありがとう」と光る文字の中に凝縮された、いろいろな感情のことを思う。

 

バイトに明け暮れたあのころは、しずかに過去になっていく。

 

*****

 

去年の夏ごろの書きかけの日記が出てきて、なんとなくいろいろ考えてしまった。

 

わたしたちはこれから、答えのでない感情にまだいくつもぶちあたるのだろう。人生を経験すればするほど、ただしいこととそうでないことの境目はあやふやになる。「わからない」が増えることがおそろしくてたまらなかったときもあるけれど、知った気になって生きるのはもっと怖いことなのかもしれないと思った。

 

ちいさな決断と選択をくりかえして、毎日を歩いていく。

いつかくる未来、だれとどんなことを話しているんだろう。