ウソの代償

HBOドラマ『チェルノブイリ』を観た。

 

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2019年の放送当初かなり話題になっていたため耳にはしていたものの、日本での放送はなく(と、今調べてみたらアマプラのスターチャンネル?てとこでやっていたっぽい)観ないまま2年過ぎていた。

この4月、新作としてU-NEXTに登場。きたきた、と再生ボタンを押して、のめり込んでしまった。

 

チェルノブイリ原発事故」を知らない人はいないだろう。でも、じゃあどんな事故だったのかと問われたとき、きちんと説明できる人はどれくらいいるんだろうか。

 

ドラマは全5話(11時間程度)。観ようと思えば平日でも3日で完走できたが、その11話があまりにも重く、連続で観てしまってかなりぐったりした。それでもやっぱり観てよかったと思う。

 

 

物語は、ある科学者の遺言から始まる。

 

ウソの代償とは?

――真実を見誤ることじゃない。本当に危険なのは、ウソを聞きすぎて、真実を完全に見失うこと。

 

彼は重要で大切な真実の告白を残し、暗くさびしい部屋で、自らの首を吊った。

 

時は遡り、1986426日午前123分。原発のある町、プリピャチ。

チェルノブイリ原発の屋根が燃えた。管理者は「タンクが爆発した」と報告し、ただ「屋根が燃えた」と思った消防隊は、防護服も着ず通常通りの消火活動を行った。本当に爆発したのは原子炉で、その場には恐ろしい量の放射能がばらまかれていたのというのに。

火事を見物するために、見晴らしのいい橋に集まった人たちもいた。

「なぜあんな色で燃えるの?」

「燃料のせいさ、あそこにはガスも火もないんだって」

「ふうん、綺麗だね」

目に見えないはずの放射能がちいさな塵になり、スローモーションで見物人たちへ降り注ぐのを見て、それが映像の演出にもかかわらずゾッとした(そのとき橋で火事を見物していた人は全員亡くなり、現在その鉄橋は”死の橋”と呼ばれているという)。

 

町の住人たちは、誰も放射能のおそろしさを知らなかったのだ。子どもはもちろん大人も、そして原発で働いている職員ですらも。

このドラマですごいと思ったのは、放射能障害によって苦しむ人たちの描写をまったくためらわないところ。肌が黒ずみ、粘膜がただれ、皮膚が崩れていくそのさまを隠そうとしなかった。

起こった事象がいかに残酷で悲痛なものだったのか。制作陣の「忘れてはいけないのだ」という強い意志を感じた。

 

ストーリーは淡々と進む。チェルノブイリ原発事故が起こってから、消火活動が始まり、町の人々の避難、その後の自己処理。

14話までは、実際なにが原発事故の原因だったのかわからない。ドラマの主人公と呼べる科学者・レガソフも、「なぜあんな爆発が起こったのかがわからない」と一貫して述べる。原発の事故は「ありえない」はずだった。でも起きた。それはなぜなのか。

すべてが明かされる5話で、本当に絶望した。何の罪もない何十万人もの人々が、嘘と隠蔽によって生まれた事故で苦しんだ事実。もちろんドラマになるうえで盛り込まれたフィクション要素もあるが、それでも現実だということ。

チェルノブイリ原発事故から、今日で丸35年が経つ。

 

 

間違いを間違いだと認めることが難しいときは、確かにある。間違えずに生きることなんてできないし、失敗することだってあって当たり前だ。それでも、間違いを隠したり、ましてやなかったことにするなんて、それこそ絶対に間違っている。そんなことをひしひし感じた。

 

繰り返しになるけれど、今、このドラマを観てよかったと思う。

残しておきたくて書く。この衝撃と絶望は、忘れないでいたい。