あなたの素顔

初めて会う人の前でマスクを取るのが怖くなった、という話をよく聞く。最初はなんのこっちゃと思っていたけれど、今はその心理がめちゃくちゃよくわかる。だって、わたしもこわいから。自分がひとからどう見られているかとか、顔がブスだとか美人だとか、そういう自分の見た目に関して特段なんとも思っていないつもりだったけど、マスクを外したとき明らかに「あ、なーんだこんな顔なんだ」をされるとなかなか気分が落ち込む。(悪うござんしたねこんな顔で)と思う。口の悪い男友達にその話をしたら、「あーたしかに、おまえ鼻から下隠してたら○○(芸能人)に似てるからな。笑」と言われてちょっと怒った(恐れ多いのでふせさせていただきました)。

落胆されることに落胆するなんて、今までも「わたしは自分がどう見られているかなんて気にしてないよ~」といいながら実はめちゃくちゃ気にしてたのかな、なんてよくわからないことまで考えてしまう。たかが鼻から下を見られたくらいで。

 

でも、そう思うようになったのは、こうしてマスクを付けることが常識な世の中になったからだ。

 

他人に裸を見られるのは恥ずかしい。それは当たり前の感情だろう。わたしたちは普段、常に肌着を身に着け、洋服を着、自分の素肌を外界から隠している。素っ裸なんて、本当に親しい人にしかさらさないし、裸を見せ合う間柄だとしても、年がら年中ずっと見せているわけではない。

 

コロナ禍になって、マスクをすることが当然になって、素顔をさらすのは親しい人の前でばかりになった。今まで見えていて当たり前だったものが隠れるようになったから、それを見せる瞬間、相手はしっかりと「見るぞ」という意思でこちらを見ている、と感じるようになってしまった。

 

事実、わたしだってそうだ。3月から入社してきた新しい同僚の顔を未だみたことがない。毎日出社はしていても、ランチに一緒に行くのはダメというのが全社的にルールとされているから向かい合って食事をしたこともないし、わざわざプライベートで出かけるなんてことはもっとない。

マスクの下、どんな顔なんだろうと思ったことは当然ある。そのたびに、自分も同じことを思われているんだろうな、と考える。

 

顔なんてどうでもいいけど、でもそれは最初から見えているからこそどうでもいいのだ。ただの会話と、嘘をつかれているとわかったうえでする会話がまったく違う何かを孕んでいるように、わざわざ隠されたものは暴きたいと思ってしまう。そして、その下にあるものを常に期待してしまう。だから、実物を目にしたときに落胆してしまうのだ。考えれば考えるほど人間は愚かだと思う。

 

いつか、またマスクなんてしなくて当たり前の世界が来たとき、鼻から下を隠して「○○に似てるって言われることあるんだけどどう?」って言ってみたい。似てないよ~って言われて笑いたい。

 

お気に入りのリップが全然減らなくて、この1年、ほとんど唇に色をつけなかったんだなといまさら思った。